今では多くの人が身につけているダイヤモンド。しかし、日本にダイヤの指輪が受け入れられるようになったのは、意外と最近のことなのです。ダイヤモンドはどのような歴史を経て、日本人に馴染みの深い宝石となったのでしょうか?

 

江戸時代はダイヤモンドの認知度が低かった

江戸時代には鎖国があったことから、日本に西洋の文化はあまり普及していませんでした。江戸時代初期に、伊達政宗によって支倉常長の使節団がヨーロッパへと出航しました。そして、帰国時にはさまざまな西洋の品物を持ち帰ったとされていますが、支倉常長の肖像画にはルビーらしい指輪を身につけた姿が描かれています。ダイヤモンドが日本の歴史に登場するのは、江戸時代後中期になってからのこと。蘭学者である平賀源内が、物産会にダイヤモンドの原石を出品したことから、ダイヤが広く世に知られるようになりました。

 

幕末には富裕層がダイヤモンドを手にし始める

ダイヤモンドの宝石が日本に入ってくるのは、幕末になってからのことだと考えられています。1860年には摂津守の木村喜毅が、アメリカ大統領夫人から5カラットのダイヤモンドを贈られたという記録があります。また、浜田彦蔵という人物がアメリカを訪れ、ダイヤモンド入りのネクタイピンを贈られたという記録も。こういったダイヤモンドに関する記録が、幕末の文献にはいくつもみられるのです。ただし当時のダイヤモンドは、富豪や海外との接点があった人物にしか手にできないものでした。

 

明治時代のダイヤモンドは富の象徴

明治時代には、これまで限られた人しか手にすることができなかったダイヤモンドも、広く知られるようになってきたのです。この頃の上流階級の女性や芸妓は、豪華な宝石でその身を飾ったといいます。あくまでこの頃のダイヤモンドは「豊かさの象徴」だったといいます。尾崎紅葉の小説『金色夜叉』は、お宮がダイヤモンドに目がくらんで許婚の貫一を裏切るというストーリー。この小説におけるダイヤモンドは、富裕を象徴するアイテムでした。しかし、近代化とともに宝飾店や宝石輸入業もさかんになり、ジュエリーの需要はどんどん広まっていったのです。

 

戦後にはダイヤモンドが広く浸透する

戦後にはダイヤモンドが広く浸透する

日本で結婚指輪の習慣が取り入れられたのは、1900年代初頭。欧米にならい、結婚式で指輪を交換する習慣が次第に庶民にも浸透していきます。大正時代になると、多くの宝飾店が宝石の細工や加工の技を競い合うようになりました。しかし、戦争が起こると海外からの宝石の輸入が途絶え、ダイヤモンドや貴金属は接収されてしまいます。戦後になると再びジュエリーが輸入されるようになり、国内での宝飾品の人気も高まっていきました。庶民がダイヤモンドの指輪を気軽に身につけるようになったのは、高度経済成長時代になってからのこと。今では街中の宝飾店で当たり前のように販売されているダイヤモンドは、さまざまな歴史を経て日本に定着していったのです。

更新日時:2020.12.08